目に見えない事ってなかなか人には伝えにくく、信じてない方には全く理解できる事ではないし、中には「変人」のような扱いをされたりするので、あまりお話ししないのですが、私は目に見えない事を信じていて、人間が目で見ているものなんか、たかがしれていると思ってますので、目に見えない事に、とても興味があります。
新興宗教などではございません。
同じような感覚や、興味のある方へ読んで頂ければと思います。
「陰」と「陽」は背中合わせ。
この世の全てのものは「陰」と「陽」の相反する2つの性質を持ち、両者の調和ににより保っています。
「陰」と「陽」を背中合わせに抱えており、2つを中和させる「気」によって保っている。
これを「陰陽思想」と言います。
「陰」と「陽」のイメージをあげると、
(陰)暗い、日陰、冷たい・・ (陽)明るい、太陽、温かい・・
このようなイメージではないかと思います。
しかし、「陽」は善ではなく、「陰」は悪ではないので、そこは勘違いされている方が多いように思います。
「陰」と「陽」があって、初めて1つの要素となりえるのです。
例をあげると
(陰)女・弱・地・裏・夜・退・柔・静・暗・月・逆・精神・植物・凹・水・冬・・・
(陽)男・強・天・表・昼・進・剛・動・明・太陽・順・肉体・動物・凸・火・夏・・・
このように、真逆の事を「陰」と「陽」で分類しておりますが、この「陰」と「陽」のバランスで成り立っております。
また、女性が「陰」の気、男性が「陽」の気なのは、
女性は、感性豊かに新たなるものを作り出す性。
男性は、今あるものを応用発展させる能力に長けている。
という、理由だそうです。凹(女)凸(男)からしても「陰」「陽」納得いきますね。
結婚する事は本能の行動。
「女」と「男」が結婚をし、結ばれるという行動は、本能からのお導き。
一緒になる事で「陰」「陽」のバランスが保たれ、全身の気がめぐり健やかになるそうです。
太陽が無くなれば輝く事もできない、温もりも無い。
満月は浄化するパワーをももっている。
なので、太陽は月を必要とし、月は太陽が必要なのだ。
それを、男女で考えてみると、お互い補える存在ですね。
互いに輝かされ癒しを頂いている。
なので「陰」「陽」に「善」「悪」はなく、うまくエネルギーが調和し合えば、生きやすくなります。
「食」にも「陰陽」が関わる。
旬の物を、旬な時期に食すと体が喜びますよね?
これは、「美味しい」というだけでなく、「陰」「陽」が関わり体のバランスも整っております。
夏野菜は「陰」の食べ物になり、冬野菜は「陽」の食べ物となります。
夏は「陽」な為、「陰」を好みます。キュウリやトマトなど「陰」の食材を摂る事で、体温を下げてくれる効果もあり、体はバランスを取り戻します。
冬は「陰」な為、「陽」を好みます。カブや白菜など「陽」の食材を摂る事で、体を温めてくれる効果があり、体はバランスを取り戻します。
旬の物を頂き、美味しく、体も整うとは有難い話です。
「陰」「陽」を知らずに居ても、体が欲しがる場合があると思うんです。
無意識な時の行動が「宇宙の法則」なのではと思います。
「ツインレイ」に恋する私。
スピリチュアルな話が続きますが、「ソウルメイト」言葉だけでも耳にされた事はあるのではないでしょうか?
その中でも、「ツインレイ」に魅力を感じてしまう私。
「ツインレイ」とは、ソウルメイトの中でも、最も魂の繋がりが深いとされています。
ツインレイ>ツインフレーム>ツインソウル>ツインメイト>ライトパーソン>ディバインエクスプレッション>ディバインコンプリメント
ツインフレーム以降は、性別問わず複数居たりと、意外と出会えそうに思いますが、「ツインレイ」に関しては、たった1人の存在となります。
遠い昔に魂の段階で別れた片割れになる為、言い換えれば「もう1人の自分」という特別な存在です。
「ツインレイ」とは、根源の存在であり、究極の相手、唯一無二の存在と言われています。
ツインレイは、同じでありながらも、正反対の使命を持ち、その責任を各々が果たした時にやっと出会えるらしく、40代で最も出会う確率があるようです。
しかし、出会った後も決して平坦な道のりとは言えない、ロマンチックとは程遠い、涙と苦難の道のりになるとの事。
ただ、1つの魂、1つの愛、1つの生命、1つの存在に還る為に、多くの試練があるみたいですが、それは「超えられる事を前提とした試練」のようで、待ち受けているそうです。
苦しくても否定せずに受け入れる事が大切で、「ツインレイ」と出会えた喜びとともに苦しみも増えるらしく、試練だらけなようですが、私は「究極の相手」を求めてます。
「ツインレイ」と出会うと、今まで誰にも感じた事のない「愛おしさ」「離れたくない」「離れてはいけない」という不思議な感情が芽生えるらしいのですが・・・1人心あたりがあるのです。
ここに詳しく書けないのですが、10年以上前に知り合った方なのですが、離れてもまた引き寄せられて繰り返しています。
考え過ぎなのか、存在にあてはめたいだけなのかもしれませんが、「ツインレイ」は調べれば調べる程、興味湧きます。
「ツインレイ」の愛の学びとは「対極」の学びであり、先ほど「陰」と「陽」のお話をしましたが、地球は全ての物が2極して存在してますので、2極だからこそ、魂が飛躍的に成長できる場なんだそうです。
「使命と責任」を果たさないと、出会えないという事なので、日々精進する所存でございます。
出会いは偶然?それとも必然?
「ソウルメイト」や「ツインソウル」「ツインレイ」など、考えているからかもしれませんが、人との出会い、関わりに大袈裟に聞こえるかもしれませんが、感銘を受けます。
初めてお会いする時、何か出会う事に意味があるんじゃ?と考えてみたり、偶然知り合ったとは思えません。
勿論、気が合う人ばかりではありませんが、それでも、私に試練を与えたんだと思うようにしています。
そう思う事で、とても人間関係がスムーズになりましたし、トラブルもなくなりました。
これは、友達など他人だけではなく、「親子」や「兄弟姉妹」に対しても一緒だと思います。
(親)あんたなんか産まなければよかった。
(子)産んでなんか頼んだ覚えもない。
など、大喧嘩の末、言ってはいけない一言です。
思ってもないのに、勢いで言う場合があるかもしれませんが、傷つく言葉にすぎません。
お互いに求め合い引き寄せられて、臨んだ形と思えば言葉も躊躇するはずです。
こんな事を今は言っていますが、昔は違いました。
腹も立て、喧嘩し、人とのトラブルもありました。
関わる気持ちと、態勢が変わると、必ず変化があります。
「因果の法則」になりますが、物事必ず「原因」があり「結果」となります。
何か物事など、うまくいかない場合、原因を改めてみなくてはなりません。
そして、出会えた事に感謝をし、人との繋がりを大切にしましょう。
因果の法則「原因」=「結果」
物事の結果は目に見える形で現れるので、注意もしますし、悪い結果だと変えようと必死にもなります。
起こってしまった悪い結果を、変えるという事はパワーも必要としますが、変わったとしても根本的な解決になりえません。
「原因」が変わらない限り、何度でも同じ結果を引き起こす可能性が高くなります。
花や草木を育てるには、種をまき水をまき育てなければなりません。
その過程で、綺麗に咲き誇るか、芽も吹かないか、もしくは枯れてしまったり、結果は変わってしまいます。
いかに経過が大切かという事です。
「良い行いをすれば、自分にも良い事が返って来る。悪い行いをすれば、自分にも悪い事が返って来る。」
とても分かりやすい言葉だと思います。
「原因」の過程が良い流れだと、結果は良い結果となるのではないでしょうか。
後ろめたい事や、コソコソと人に言えない事をいていると、悪い結果へ繋がるのだと思います。
また、良い行いが身に付いている人は、悪い結果は発生しない。
見えないものに守られているかのように、良い結果を残します。
日頃からの意識が大切だと、記事を書きながら改めさせて頂く事ができました。
境界線を持たない生き方「無償の愛」
スピリチュアルな世界では、ひとつである状態を「ワンネス」というらしいのですが、「宇宙愛」だとか「神の愛」など目にします。
「生きとし生けるもの全てが、1つの愛で繋がっている」という意識のようです。
「世界平和」もワンネスの意識の1つで、自分自身と向き合い、試練を乗り越えて「ワンネス」という愛に辿りつく事こそが「ツインレイ」に出会う最大の理由との事ですが、書いてる私も訳が分からなくなってくるぐらいなので、分かりやすく纏めてみます。
見返りを求め、損得勘定がある限り「愛」ではないという事です。
人間は自分が可愛いから、自分の事を優先してしまいます。
そこには、相手に見返りを求める優しさであったり、「損」か「得」かで「する」か「しないか」を決めてしまう。
「ギブ&テイク」という事です。
しかし「無償の愛」は「ギブ&ギブ」であり、境界線を持たない生き方です。
子供を産み、赤ちゃんに対して見返りなどは求めません。
親子愛は「無償の愛」ではないでしょうか。
しかし、他人となるとどうでしょうか?他人事になってしまい守りに入ってしまったり、自分が可愛いから傷つきたくないので、見て見ぬふりをしてしまったりしてしまう。
我が子に注ぐ「愛」を、常に注げる人になれれば、生きやすくなるのではないでしょうか。
境界線は目に見えるものではありませんが、少なからず誰でも心に持っているかと思います。
見せかけの「愛」ではなく本物の「愛」に生きましょう。
溢れる程の愛で満たして、全う出来れば悔いのない人生だったと思えるはず。
私も、「愛」にこれから生きてみようと思います。
余談ではありますが、私は母の連れ子でして、物心つく思春期の頃に、父親が違うという事を知りました。
当時、聞いた時はビックリしましたが、そんな事を感じさせないくらいの「愛」で父は育ててくれました。
血の繋がりはないかもしれませんが、私は父を尊敬しております。
父は、血の繋がりがないにもかかわらず「無償の愛」を私に注いでくれています。
血縁関係など本当に関係ありません。
そんな父のような人に私もなりたいです。
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